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人類史に残る凄惨な地上戦があった沖縄。
第二次世界大戦と云う、国の総体を懸けた総
力戦は、大きすぎる犠牲を払い、日本の敗戦
で終結しました。沖縄の、そして日本の歴史の
分岐点となった沖縄戦をアメリカ軍が撮影した
貴重な映像で振り返ります。

 
1944年3月22日の第32軍創設から1945年9月7日の降伏調印式までの沖縄戦前夜から沖縄戦終了まで年表で振り返ります。

沖縄戦年表  
■1944年
3月22日 南西諸島防衛のため第32軍創設。沖縄本島に配備された正規軍の総兵力は約86,400人。
8月22日 長崎へ向かう途中の学童疎開船対馬丸、悪石島近くで米潜水艦(ボーフィン号)の魚雷攻撃を受け、沈没。その時間わずか約10分であったという。乗客1,661人の内1,484人の命が奪われた。
10月10日 沖縄各地 に大規模な空襲が行われる。特に飛行場、港があった那覇市の被害は甚大で、5回の空襲により市街地の9割と約260人の命が奪われた。この空襲により沖縄全域の犠牲者は約1,500人。沖縄が戦場になった瞬間。
12月5日 沖縄本島の守備軍第32軍の精鋭部隊・第9師団(武部隊)をフィリピンのレイテ島決戦に備え移動した第10軍の補充をするため台湾に移動。沖縄の守備部隊の戦力が3分の2になる。
■1945年
3月23日 米上陸部隊、沖縄諸島に攻撃(空襲・艦砲射撃)を開始する。
3月26日 米軍、慶良間諸島に上陸。
3月31日 米軍、慶良間諸島を占領。沖縄本島上陸作戦の補給基地とする。渡嘉敷島で住民による凄惨な「集団自決(死)」が起こる。渡嘉敷島の戦没者368人の内、「集団自決」による犠牲者は329人にのぼった。この「集団自決」こそ沖縄戦を他の戦争と明確に差異化するものであり、日本が行った皇民化の究極の暗黒面であった。
4月1日 米軍、沖縄本島の北谷・嘉手納・読谷に上陸。日本軍は主力部隊の武部隊を失ったため持久戦へと戦略を変更。約6万人の米軍は無血上陸を果たし、その日の内に、読谷の北飛行場、嘉手納の中飛行場を占拠する。
4月3日 読谷村のチビチリガマで「集団自決(死)」発生。85名が自決。その内の6割が18歳以下の子供だった。チビチリガマでの「集団自決」の真相が明らかになったのが1983年のこと。終戦から38年という年月が、その闇の深さを物語っている。
4月5日 北部守備軍(宇土部隊)、戦線から後退。米軍、本島中部石川を占拠し、沖縄本島を南北に分断。
4月7日 大本営は、沖縄支援のため世界最大を誇った戦艦「大和」を中心とした海上特攻作戦(菊水作戦)を敢行するが、「大和」は沖縄へ向かう途中で米軍の集中砲火を浴び、鹿児島県坊津沖で撃沈される。
4月8日 第32軍の司令部がある首里の防衛線として、頑強な陣地が構えられた沖縄中部宜野湾の嘉数高地で、日米の激しい攻防戦が展開される。
4月10日 米軍、津堅島を占領。
4月12日 日本軍、総攻撃失敗。
4月16日 米軍、伊江島に上陸。当時、伊江島には東洋一と言われた飛行場があったため、米軍占領の21日まで激しい戦闘が行われた。犠牲者4,706人、その内地元の住人は約1,500人にのぼった。
4月21日 米軍、伊江島を占領。
4月24日 嘉数高地、陥落。実に16日に渡った攻防戦であった。
4月26日 嘉数高地と首里の司令部との間に位置する前田高地での戦闘始まる
5月6日 前田高地、陥落。太平洋戦争最大規模の砲爆撃が集中した、宜野湾から浦添の約10キロの中部戦線は、米軍の戦死者約20,600人、そして日本軍に至っては約64,000人を出した、まさに両軍死力を尽くした戦いであったが、住民の被害も忘れてはならない。激戦地となった嘉数、前田、西原では約半数の住民が犠牲になり、一家全滅も3割を超えた。
5月12日 最後の首里防衛線である那覇市郊外にある「安里52高地(シュガーローフヒル)」で戦闘始まる。地形を巧みに利用した日本軍と、圧倒的な兵力の米軍の攻防戦は、ここでも熾烈を極めた。米軍は死者2,662人、1,289人の極度の精神疲労者を出すが、18日に制圧。米軍、首里に向けて総攻撃を開始する。
5月22日 第32軍司令部、南部撤退。持久戦続行の作戦方針を決定する。本土決戦に備え、沖縄戦を引き伸ばす、まさに「捨て石」作戦であった。
5月22日 米軍、那覇市を占拠。
5月25日 後に「ひめゆり部隊」と呼ばれる学徒看護隊が配属されていた南風原陸軍病院に南部撤退命令が下される。
5月27日 第32軍司令部、残存兵約30,000人の南部撤退を開始する。
5月31日

首里、陥落。第32軍司令部、沖縄本島の最南端、摩文仁の自然壕の中に撤退。徹底した持久戦に入る。既に南部一帯には多くの住民が避難しており、そこに南下して来た残存兵、軍と共に移動して来た住民とが入り混じって、沖縄最南端の喜屋武岬に追い込まれていった。未曾有の悲劇、南部戦線の始まりである。

6月9日 米軍、粟国島を占領。
6月11日

海軍主力玉砕。

6月13日 大田実少将率いる海軍部隊、小禄の司令部で全滅する。大田少将が最後に海軍次官宛に打った「沖縄県民斯く戦えリ」の電報は、沖縄県民に対する国の配慮を訴えたもので、玉砕の電報では極めて異例な電文として有名。
6月17日 米軍、激戦の末、南部戦線の防衛線を突破する。これが日米最後の戦闘であった。米軍の沖縄作戦のトップ、バックナー軍司令官、牛島軍司令官に降伏勧告。牛島司令官それを黙殺する。
6月18日 米軍第司令官バックナー中将、糸満市真栄里で日本軍の砲撃により戦死。
6月19日 第32軍牛島司令官は、「各部隊は各地における生存者中の上級者これを指揮し、最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」と最後の命令を出し、指揮を放棄する。日本軍の組織的抵抗の終結。ひめゆり部隊や鉄血勤皇隊などの学徒隊に解散命令。ひめゆり部隊がいた壕内に米軍のガス弾が投げ込まれ、教師・生徒40名が無残な最期を遂げる。
6月23日 牛島軍司令官、長参謀、摩文仁の司令部壕にて自決(22日という説も)。事実上、日本軍組織的抵抗の終了。
6月25日 大本営、沖縄作戦終結発表。
6月27日 久米島で、海軍守備隊による連続住民虐殺事件おこる。8月18日まで5家族20人がスパイの疑いで処刑される。
6月30日 米軍、掃討戦を終了。
7月2日 米軍、沖縄作戦終了を宣言。しかし、日本が降伏した8月15日以降も南部でゲリラと化した日本兵と散発的な戦闘が続く。
9月7日 南西諸島の沖縄守備軍の残存部隊が降伏文書に調印。


動画で見る沖縄戦 沖縄の戦跡・慰霊塔 体験者の声
米軍による沖縄各地への空襲から沖縄戦終結後の捕虜収容所生活までを動画で振り返ります。 沖縄各地に今も残る戦跡や、慰霊塔を動画で紹介します。 元ひめゆり部隊の伊狩典子さんの話しを動画で紹介。史料からは伝わらない”声”をお聞き下さい。

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