流派

12.松濤館(流)

2016.08.11

2018.08.09


松濤館(流)とは沖縄空手を日本本土や諸外国へ広めた第一の功労者である船越義珍を開祖とする(流派)である、書物の中で松濤館(流)と( )で記述されているのは多くの弟子達が松濤館流の旗揚げをいくら進めても船越義珍本人が強く抵抗し晩年まで「首里手」(スイティ)系の唐手(トウティ、カラテ)という公称に強いこだわりを見せ松濤館流というー流派としての設立には難色を示し続けていたのが原因だとも言われている。

大正時代にはまだ沖縄空手界において「流派」の設立はまだ胎動期であった事を考慮するに謹厳実直そのものだった船越義珍にしてみれば明白な心の内であったのだろう。 ちなみに松濤とは船越義珍の雅号である。

日本本土で初めて公式に沖縄空手の演武が行われたのは1916年(大正5年)に京都武徳殿で船越義珍が又吉眞光(古武道)と共に沖縄を代表して演武したのが最初であった、その後船越義珍が沖縄空手の日本本土や世界への普及の為にその一生をささげたことは周知のことである。

1939年(昭和14年)東京都豊島区に門下生の浄財による「松濤館道場」が日本で初めての本格的な空手道場であった。
空手に一生をささげた偉大な空手家「船越義珍」70歳にして頂いた珠玉の贈り物であった。
現在、松濤館(流)は船越義珍の熱情と想いが多くの門下生に継承され世界に約100ヶ国にも及ぶ支部が展開されている。
小さな沖縄で生まれた空手が世界の多種多様な民族に愛され普及していく様には深い感動さえ禁じ得ない。

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