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●首里城跡(しゅりじょうあと)


三山時代は中山の居城でしたが、琉球王 国統一後は国の政治・文化の中心になりました。
沖縄戦で徹底的に破壊され、1992年に復元されました。
 沖縄歴史の本によれば、沖縄の戦国時代と言われている三山時代には、首里城は中山王の居城であったと言われている。いわゆる広大な北部一帯を治めていた北山王(今帰仁城主)、中山王(首里城主)、南山王(南山城主)が互いに琉球統一を目指して覇を競っていた時代である。首里城が建立されたのは、第一尚氏が琉球を統一して中国と正式に進貢貿易を始めた14世紀後半と言われている。なぜなら首里城はその姿形からして、中国の紫禁城の建物によく似ているから。
 沖縄歴史の長い流れの中でみればそれも当然といえば当然かもしれない。14世紀と言えば、中国はシルクロードを通して巨大な貿易国家としてその権力とともに世界に覇を唱えるアジア随一の文明国家であった。それに比して琉球国は、王国といえども南海の貧しい孤島でしかなかった。そこへ中国の皇帝から恭順の招きがあり、琉球王は早速恭順を誓い、進貢貿易を開始することによって、琉球の大交易時代が訪れることになる。首里城主の中国との進貢貿易開始こそが、沖縄歴史の長いスパンの中で最も大きなターニングポイントであったことに異論を唱える人はいないと思われる。
 ウチナーンチュのアイデンティティ、ウチナーンチュのプライド、ウチナーンチュの心のつっかい棒、ウチナーンチュが生きていく上での勇気、ウチナーンチュの精神の礎など、ウチナーンチュとしての姿、形、精神、ウチナーンチュの総てがこの時の進貢貿易に根ざしていると思われる。それらの奥深い根の先には琉球の大交易時代に至り、形成されてきたと確信できる。
 私たち沖縄の人間が意識するしないに関わらず、先達の多くの多くの人達が、その進貢船に乗り込んでいった。中国へ向かう、あるいは南方貿易に向かう船に乗ると決ったら、何ヶ月も前から親戚や知人を訪ね、「水さかずき」を交わして合っていた。その当時のエンジン無し、気象情報なしの時代の帆掛船で長い航海に出るのは、ある意味「死出の旅」でだった。記録によれば、帰省率は50%前後であったこともある。それでも彼らは行った。そして彼らの旅を「唐旅(とうたび)」と言う。「二度と帰れない旅」という意味を持っていた。今でも年老いたオジー、オバーは、日常的に「あれは唐旅に行ったサー」という。冥界に行ったということである。

昭和47年5月15日国指定遺跡

動画は
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首里城公園入口バス停から徒歩5分

●モノレール儀保駅・首里駅から徒歩15分


●園比屋武御嶽石門(すぬひゃんうたきいしもん)


1519年に創設された守礼門と首里城歓会門の間にある石門。門の後方に広がる森は琉球王朝の聖域として 重要な位置を占めており、国王が城から外出する際に 道中の無事を祈った場所でした。

昭和47年5月15日国指定遺跡

動画は
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首里城公園入口バス停から徒歩5分

●モノレール儀保駅・首里駅から徒歩15分


●玉陵(たまうどぅん)


玉陵は、1501年頃第二尚志王統の陵墓として築かれました。琉球独自の石造建築デザインを見ることが出来る玉陵は、首里の激しい戦火の中、奇跡的に全壊を免れ1977年に修復が完了しました。

昭和47年5月15日国指定遺跡

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首里城公園入口バス停から徒歩5分

●モノレール儀保駅・首里駅から徒歩15分


●識名園(しきなえん)


沖縄那覇市識名にある識名園は、1799年に琉球王家の別邸として造られた。今では沖縄観光の目玉的存在となっている首里城を出て、金城町の石畳道を通って至る識名の小高い丘の上に造られた識名園は、琉球王府の別邸として使われただけではなく、中国皇帝の使者として琉球王府を訪れた冊封使を接待する場としても使われた。琉球王府の外交の場としても重要な役割を果たしたのである。 識名園はその建物をはじめ、庭や池の造りまで全体的な意匠構成は、琉球独自のものであるが、琉球王府にとって最も大切な国賓である中国皇帝の使者冊封使(さっぽうし)を歓待することを主目的として造られたと言われている。識名園は17~18世紀の日本庭園と中国庭園の影響を強く受けており、訪れる観光客の皆様は日・中・琉の文化が渾然一体となった不思議な世界を体感することができるでしょう。 日本の国宝クラスの庭園も第二次大戦で壊滅的な被害を受けたが、1975~1996年までの21年の歳月をかけて、大掛かりな修復工事の結果、沖縄の歴史的な名園が復活した。今では沖縄を訪れる観光客をはじめ、申し込みがあれば琉球王朝時代の古式豊かな様式で結婚式も行う事が出来る。
 識名園は1799年に造営された王家の別邸の庭です。王族の保養や、冊封使を接待する場として使用されていました。沖縄戦で甚大な被害を受け、1975年から1996年まで修復工事が行われました。

昭和51年1月30日国指定名勝

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市内バス真地から徒歩1分

●水曜日定休日


●斎場御嶽(せいふぁうたき)


琉球王国最高最強の聖地。古くは男子禁制で国王さえ
も足を踏み入れることは出来ませんでした。聞得大君(
きこえおおきみ)と呼ばれる神女組織のトップが斎場御
嶽で大きな権限を持っていました。

昭和47年5月15日国指定史跡

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那覇BTより38番体育センター入口から徒歩5分

●今は男子も大丈夫


●中城城跡(なかぐすくじょうあと)


 沖縄の歴史上、築城に関して最も名高い護佐丸(ゴサマル)によって築かれた、沖縄では首里城に続いて名高い名城跡(グスク)である。沖縄の歴史上築城に関し最も有名な護佐丸にとっては、山田城、座喜味城に続く3番目の城である。
 中城城跡(グスク)は、沖縄本島中部、中城湾の海岸線に沿った小高い石灰岩丘陵上に築かれた名城だが、当時の琉球(沖縄)は、南部の第一尚氏によって国家統一が行われていく過程にあり、勝連半島で勢力を伸ばしていた阿真和利(アマワリ)への防衛の為の布石であったと言われている。沖縄の歴史上最も優れた名築城家と言われた護佐丸(ゴサマル)の集大成の城(グスク)らしく、城壁の美しさ、戦略性に加え、井戸や拝所、雨乞いの御嶽(ウタキ)など、神々しい雰囲気さえ漂わせている。

昭和47年5月15日国指定史跡

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バス58番中城公園前から徒歩15分

●バンドのPVでよく使われます


●勝連城(かつれんじょうあと)

 沖縄に限らず、城(グスク)を訪ね、その中に身を佇むと、はるかな歴史の彼方のロマンに満ちた「兵どもが夢の跡」という感慨の中で、時空を越えた夢世界を浮遊する事ができる。それも長い沖縄の歴史の中でも強烈にして濃密な時間を凝縮させた空間だからであろう。沖縄の歴史上に残るグスク(城)は約300箇所もある。沖縄の本島を中心に離島まで点在するグスク(城跡)の中でもその美しさ、戦略的に優れた点など、沖縄の世界遺産に指定された他のグスク(城跡)でも群を抜いて屹立している一つである。
 勝連城跡(グスク)は、沖縄の歴史上で最も有名な「おもろそうし」の中でも京都や鎌倉に例えて歌われている程、優美な古城跡(グスク跡)である。沖縄県中部の勝連半島の根元に建立されたこのグスク(城)は、琉球王権の確立期に「きむたかのあまわり」と人々から慕われた阿真和利(アマワリ)によって築城されたが、最後に彼は逆臣の汚名を着せられ、非業の死を遂げる。
「夏草や兵どもが夢の跡」……か。

昭和47年5月15日国指定史跡

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那覇バスBTより27番西原から徒歩10分

●別名かっちん


●座喜味城(ざきみじょうあと)


 沖縄本島中部読谷村の約150mの高台に築かれたこの座喜味城は、沖縄の歴史に名高い築城の名手、護佐丸(ゴサマル)による築城だと言われている。
 座喜味城は沖縄本島の北部から中部への通路の要所にあり、沖縄の歴史上の時代は戦国時代と呼ばれている三山時代、中山王の要請により北山に対する防衛の任をも兼ねていたと言われている。
 沖縄の歴史に名高い数々のグスクは、そのほとんどが石灰岩の独立丘や、石灰岩丘陵上に築かれているが、この座喜味城は粘土質の丘の上に築かれている。沖縄の歴史上の城としては、かなり珍しいことである。
 石積みの石門の美しさ、城壁の堅固さと優美さ、荘厳な風格を備えるこの名城も、第一尚氏の北山城攻略により、わずか数年で護佐丸(ゴサマル)は移封を命ぜられ、城(グスク)としての重責は終焉した。

昭和47年5月15日国指定史跡

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那覇バスBTより29番座喜味から徒歩5分

●芝生がキレイ


●今帰仁城跡(なきじんじょうあと)


 沖縄本島北部の本部半島、今帰仁の標高90m~100m前後の小高い丘陵の上に築城されている。沖縄の地層では最も古い部類に属するといわれている古成期石灰岩の上に築かれたグスク(城)である。2000年12月に沖縄の世界遺産がユネスコから指定された事は、沖縄の歴史が独特の流れと形を持っているからに他ならない。沖縄本島北部に築かれたこの今帰仁城跡は、沖縄の歴史の中で戦国時代と言われている三山時代の城跡である。
 沖縄の歴史上の三山時代には、浦添や首里を中心とする中頭地方を中山、旧高嶺村一帯を中心とした沖縄南部地域を南山と呼んだ。それに対して、沖縄本島北部に築かれた、この今帰仁城跡のことを北山王の都城として、北山城と呼ばれている。
 この城の歴史は古く、沖縄においてはその規模の大きさ、遺構の保存度の良さなど、沖縄屈指の風格を持つ歴史的な名城跡である。
 歴史上、その築城の年代は明らかではないが、沖縄の歴史文献としては最も古い「中山世鑑」の記録によると、弘和3年(1383年、明の洪武16)怕尼芝という人が城主となっている。1416年、尚巴志によって没された。

昭和47年5月15日国指定史跡

動画は
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名護バスBTより今帰仁城前から徒歩20分

●おっぱ牛乳


沖縄世界遺産 琉球王国のグスク及び関連遺産群
 正式名称は、Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu.
 沖縄の世界遺産が2000年12月、オーストラリアのケインズで開かれたユネスコの第34回世界遺産委員会で「琉球王国のグスク及び関連遺産群」そして沖縄県内9箇所の城跡や名勝が沖縄の世界遺産に登録された。日本では国内で11件目の世界遺産登録であり、もちろん沖縄では初めての世界遺産登録である。沖縄人は、自らの歴史遺産に大きな独特の歴史の積み重ねと背景を知りながらも、去った世界大戦で総て破壊されつくし、城などは頑丈な石垣だけが残っているだけだった。沖縄県民の殆どは、「ホントかな?」と半信半疑の状態であった。
しかし、約500年間に渡って続いた琉球王朝の歴史と文化は、世界的に評価されることにより、数奇な歴史の運命にもて遊ばれながらも営々として築き上げてきた城跡の数々は、ユネスコの認めるところとなり、正式に任命された。



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