空手

第24回さまよえる「手」(Tiy)

2020.05.01

 早くも掲示板にこの組み合わせが貼り出された。『拳闘家ジョージ対飛び入り本部朝基』である。翁の名前は「モトベアサモト」と仮名がついている。拳闘家ジョージは長身肥大の名拳闘家であり、対する翁は、身長五尺四寸余、肥満してはいるが見たところ五十二、三歳の朴訥漢である。

 

 恐ろしい爺やなア! 
「えらい年寄りやな」「グローブをしてないぞ。柔道家かな」と観衆はささやいた。観衆はガッカリして「爺さんしっかりやれ」と冷やかしていた。
 二人の試合は始まった。ジョージは言うまでもなく突きの構え、両手のグローブを小刻みに動かしつつ突き手の弾みをくれているが、一方の本部と名乗る朴訥漢は、左手を遠方を眺めるが如くかざし、右手は右頬に近くあげてジッと腰を落とした身の構え。「ハテ、なんですやろ。踊りみたいにして」「怪態なものが飛び出したものや」などと観衆はとりどりの評。楽屋の人々も思わぬ飛び入りに、首を出して見ていたが、その中の柔道家が本部朝基の構えを見ているうちに思わず「ア!唐手!」と叫んだ。今日といえども唐手と言っただけでは、どういう武技であるのか、まだ広く世に知られていない。観衆が剣舞みたいだといった姿勢は、これぞ唐手における小林流、ピンアン四段の構え。左手で敵の攻撃を受け払うやいなや右手の拳弾を食わすもの。ぴたりと構えたその態勢にみじんの隙もなく、老人じみたその面貌は、みるみる緊張しきって、さながら別人の如くに輝いていた。「油断はできんぞ」先に「唐手」と看破した男はそう叫んだ。「飛び入り、しっかりやれ」「ジョージ、行け!」しかし、ジョージも音に聞こえた拳闘家。敵の構えに打ち込むべき寸毫の隙もないのをみると、これは、と驚いたか、なかなか攻撃しない。隙があれば飛びかからんとしているが、敵はピタリと構えたまんま、微動だにしない。その態勢に圧せられたかジョージは徐々に息をはずませ、ハッハッという息づかい。このまま疲れてしまってはたちまち敵に乗じられる。この上は誘い出しにかからねばならない、と決心したか、拳闘一流の誘い、両手をサッと翳しつつ打つがごとく、突くが如く小刻みに動かしながら、じりじりと攻め寄せていく。が、相手はその誘いに乗ってこず依然として微動だにしない。
 いよいよ業を煮やしたジョージは、「エーイ、これまで!」とばかりに思い切って一歩二歩進み寄ると見る間に、「ヤッ!」と身をすくめて遮二無二の突き。敵の面部めがけた巨弾の連発。アワヤと思う一瞬、パッパッと閃く本部の平手、初めの体勢をさらに崩さず、小手先軽く難なくポポーンと敵の巨弾を跳ね返してしまった。「何を!」今はジョージも捨て身。突きに打ちに巨弾という巨弾で打ちかかっていったが、相手はさらに動ぜず、左手一閃、ポポーンとはね返され、払いはじかれて歯がたたない。が、ジョージもさるもの。危ない、と見るやサッと身を翻し元の位置、さらに敵の虚を伺っていたが、ハッ、ハッと彼に似合わぬ焔のような息づかいは、余程に疲れたものと相見えた。これにひきかえ相手の本部は依然たる体勢、動ぜざること山の如く、その息遣いも極めて静かだ。「ジョージ、どうしたんだ」楽屋の人々も気が気でない。天晴れ、一団の御大なるジョージともあろうものが、この一老漢に手が出ないとはどうしたことだ、と「遠慮は無料。いけいけジョージ」と躍起となる。ここにジョージは一気に勝敗を決しようと決心したもののごとく、やおら右手を大きく開いたかと思うと、ツツツ、と二三歩、大股に詰め寄りざま、面部の撃ち手、渾身の力、宙にウナッて吹っ飛んだ。「アッ!」本部の面上微塵と思いきや、シャッとして鳴る鉄腕の響き。本部は左の平手で振り飛び来る敵の右手を一段強く跳ね返す、途端に伸びる腰の構え、それと間髪を入れずに右の平手、電光の如く突き出せば敵の面上喝として声あり。あっと言う間に、ジョージは口鼻の間を、平手にズズーンと突き上げられた。平手とはいえ、口鼻間の急所。ジョージの体は、次の瞬間、さながら木刀のごとくドタリと打ち倒れてしまった。観衆は思わず「ワッ!」と声を上げたが、ジョージは倒れたまま動かない。「それ、介抱」楽屋の人々は、その声に走り出て、悶絶したジョージを担ぎ入れた。「恐ろしい爺やなァ!」観衆はあまりのことに呆気にとられ、二の句がつげなかった。

 

 口と鼻の中間点に一撃 
 さて、このとき本部朝基がとった戦いの構えは「ピンアン四段」である。前方左手は開手にして、正面の中段受けの構え、後方右手は同じく開手で上段受けの構えである。足は猫足に構え、敵が不用意に近づいてくれば、猫足に構えた前方左足が相手の溝うちに一撃となり、相手の息を止め動けない状態にする。しかし、この試合のルールで蹴りが使えない。従って前蹴りは出来ないが、前足による内股足払いの技が強烈に決まる。さすがの百戦錬磨のジョン・テルことジョージは本部朝基の猫足を警戒して中に入れなかったのである。
 また、朝基は、ジョージが懐に入ってくる瞬間を今か今かと待っていたのである。ジョージは攻撃のパターンを一生懸命考えていたに違いない。右の拳を出して、本部の反応をみると、本部は前方左手の開手でジョージのパンチを難なく払いのける。今度は左右の拳を出したところ、本部は同じく前方左手開手で外から内へ、内から外へと容易く払いのける。そこでジョージは強いショックを覚えたに違いない。前方片手で左右のパンチを訳なく捌くということは、残った後方右手が自由に使えると言うことを意味している。言いかえれば、両手のボクサーと片手のボクサーが戦っているようなものである。自分の左右のパンチがいとも簡単に左手一本ではじき飛ばされたことに対して、あまりの衝撃でジョージは理性を失ったに違いない。
 しかも、本部の猫足は、いつ内股足払いを放たれるか不気味である。そして、ジョージは攻撃のパターンを考えた。右のパンチで思い切り顔面を狙い、次の左のフックで相手を沈めようと。しかし、右のストレートパンチと左のフックの間に、本部が足払いを入れてくるだろうから、そのとき左足を少し後ろに引いてかわして左フックにいこう、と読んだと思える。そして、意を決し勝負に出た。右のストレートをはじかれたジョージは、相手の前足を警戒して左足を引いた途端に本部の右上段手刀が顔面の最も危険な急所である口と鼻の中間点に一撃されたのである。この急所に一撃を食らえば、まっすぐ立っていることは不可能である。しかも、開手と言っても、当てる手刀のポイントは手刀の刀の部分ではない。いわゆる手首の骨の部分である。この部分で瓦を20枚は割ることができる。恐ろしい破壊力なのである。この場合、もっと早い空手の技として、本来はジョージの右のパンチを前方左手で払った瞬間、本部は右足を前に踏み込んで右の裏拳で口と鼻の間を打ち抜かなければならない。これが最も理想的な攻撃の方法でピンアン五段に出てくる技である。しかし、試合のルールで拳を使うことは禁止されて、開手しか使えない事から、本部は裏拳でなく、開手のまま、手刀を打ち込んだのである。


本部朝基
 

 
 
 
 野村耕栄(のはら・こうえい) 

沖縄県出身。少年時代より、喜屋武首里手を父・薫から学ぶ。大学時代に一時期、上地流にも入門。その後、首里手小林流を学び、現在小林流範士九段。1982年沖縄空手道少林流竜球館空手古武道連盟を設立。1985年全琉実践空手道協会設立。1992年より毎年6月沖縄県において、「全琉空手古武道選手権大会」を、2002年より毎年11月にカルフォルニアにおいて、「US-Okinawa Karate Kobudo Open Tournament」を、2006年より毎年4月ロンドンにおいて、「EU-Okinawa Karete Kobudo Open Tournament」を主催・開催。東京世田谷道場、埼玉大宮道場に支部道場を有す。詳細は、「竜球館」webサイトからアクセス。早稲田大学大学院博士後期課程スポーツ人類学研究科在学中。

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