空手

【資料映像】沖縄の空手 歴史 Okinawa Karate

2017.08.27

2018.08.28


身体に武器を帯びず、「徒手空拳」、手と足を組織的に鍛錬して、あたかも武器のような威力を発揮させ、身を守り敵を倒す、沖縄古来の武術、それが「空手」である。

【空手道・古武道基本調査報告書(県教育委員会文化課編 平成6年)】
沖縄県教育委員会がまとめた「空手道・古武道基本調査報告書」。
その表紙の写真には、首里城正殿前で空手の指導を受ける生徒(明治・大正時代)の姿が映っている。
門外不出の秘伝武術として沖縄に生まれ、伝承されてきた空手は明治になって一般に公開されるようになる。
師範学校や県立一中でも空手指導が始まり、日本、そして世界へ広がるきっかけとなった。
空手の源流を遡ると、琉球王国に辿り着く。
中国伝来の拳法に琉球古来の武術、「手(ティー)」が融合し、発展したものと言われている。
空手は「型」の鍛錬と言われている。
明治になって、それ以前の型を改良して体育空手用にしたのが、王府の役人でもあった「糸洲 安恒(いとす あんこう)」(1830~1915)であった。
糸洲の考案した型の元になったのが、首里手(しゅりてぃー)と言われる型であった。
当時は技法的な型の特徴や伝承された場所にちなんで、「首里手」「泊手」「那覇手」などと呼ばれていた。
技法的に似ている「首里手」と「泊手」は、中国北京や内陸系、「那覇手」は中国南部、福建省系からの流れをくむと言われている。
糸洲の考案した型を見てみよう。
「ナイハンチ」は首里手の代表的な基本型として伝わっている。
横一線上を左右に動く。
身体の要である腰を鍛えるのに最適な型と言われている。
糸洲の考案した型は、正規の体育空手として学校教育に取り入れられた。
糸洲の弟子からは逸材が多数輩出し、彼らによって「首里手」は本土へと普及した。
戦後は組手の研究が進み、急速に海外へと進出していった。
【沖縄空手道の先人たち】
城間真繁/真栄城朝亮/知花朝信/仲宗根源和/喜屋武朝徳/屋部憲通/花城長茂/宮城長順

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