空手

第3回さまよえる「手」(Tiy)

2018.05.01

2018.05.31

沖縄の伝統文化をあげるとすると先ず、琉球舞踊、琉球民謡、沖縄空手を真っ先に挙げる人は多い。これらは沖縄三大伝統芸能と言われるが、その中で世界に最も広く伝播しているのは、沖縄空手であることは間違いない。沖縄空手は、沖縄人のアイデンテイテイであり、心の古里なのである。
 

 極楽が海の彼方にある 
 縄文人の子孫である琉球人には、昔からニライカナイ思想がある。
 ニライカナイ思想とは、沖縄に古くからある信仰で、我々の住むこの世界とは別のもうひとつの異境、極楽が海の彼方にあるという概念のことである。
 このニライカナイを象徴するかのように琉球人は、戦前から海外移住者が人口比で最も多い県である。
 ブラジル・アルゼンチン・ペルー・ハワイ・アメリカ合衆国、カナダ等海外に移住したウチナーンチュは世界に36万人いるが、海外交流に出かけて現地で公演をする場合、この三大沖縄伝統武芸は欠かせない演目となる。
 開催移民したウチナーンチュの多くがこの芸能を見て、遠い古里を思い、自分が沖縄人であることを再認識し、沖縄人であることを誇りに思うのである。
 さて、ここで私たちが何気なく使っている用語である「琉球」と「沖縄」、または「琉球人」と「沖縄人」について触れておく必要がある。

 琉球と沖縄 

 「琉球」の名称は、別名に流求(ryukyu)、龍宮(ryugu)、石流間(uruma)、球陽(kyuyou)などがあるが、最も多く使われたのは、琉球(ryukyu)である。
 流求の呼び名が史書に現れたのは、中国随朝の正史『随書流求国伝』である(西暦605年)。また、「琉球」という呼称の起源については『新講沖縄一千年史』で、「はるかなる海の中にえんえんとつらなっている恐竜の水の上に浮かんでいるようであるから、よって流礼と名付け、後に転じて琉球となった。」と述べている。その他、琉球は、瑠求・留求・流礼・竜礼・瑠球・留仇などと呼ばれたが、中国の随の時代は琉球、元の時代は琉求、明の時代は琉球と称している。ところで中国では、沖縄を大琉球、台湾を小琉球と呼んでいた。
 一方、「沖縄」という呼称について記録されているのが奈良時代に唐の国から招かれた鑑真について書かれた『唐大和上東征伝』と『総日本紀』である。これらの記録によれば、鑑真等の乗った遣唐使の船団は753年11月16日に中国の蘇州を出航し、20日には第三船が、21日には第一船と第二船が「阿児奈派」(沖縄)島に到着している。鑑真はその後益救島(屋久島)、薩摩国阿多郡を経由し、754年に奈良の都に到着した。この記録によれば、鑑真は沖縄島に上陸し、約14日間滞在したことになる。その後「沖縄」の名称は、「於幾奈波」、「悪鬼納」、「倭寇奈」等を経て島の形が南北に細長く沖に縄を浮かべたようだ、と言うことで、新井白石(1657年~1725年)がその著『南島志』に用いたのが、現在の沖縄になったと言われている。

 中国人とは限らない 

 「琉球」が中国名で「沖縄」が和名であるといえる。同じようにおきなわにおいては、人の名前も大和名と中国名があり、廃藩置県以前まで多くの琉球人が和名と唐名を持っていた。
 例えば、首里手の祖と言われている武士松村親雲上の大和名は松村宗棍であり、唐名は武成達なのである。よく空手の本などに昔の空手の達人の名前や型の名称が中国語になっていることを理由に、空手は中国から伝播したと即断し、信じ込む人が多々いるが、これは必ずしも正しくないことを充分に認識する必要がある。人物名や型の名称が中国名になっているからと言って、この人物が中国人とは限らないのである。琉球人も当時は唐名を持っていたからである。
 史書に現れた年代からすると、「琉球」の名称が「沖縄」よりも148年も早いことになり、「琉球」は日本よりも中国との関係が密であったことを物語っている。現在、「沖縄」という言葉が定着しているが、歴史的には「琉球」が1千年以上使われ、「沖縄」が表に出てきたのは明治政府が琉球処分をして琉球王朝を解体した1879年からであり、わずか130年ほどの歴史しかないのである。中国人の多くは今でも、親しみを込めて琉球と呼ぶ。台北・那覇間を飛んでいる中華航空に台北から搭乗した人は、行き先の表示を見てハタと驚く。行き先は「琉球」と今でも表示しているのである。まるで、明治政府が強権で「琉球」を「沖縄」にしたことを今でも認めていないと主張しているかのようである。

 

「手」(Tiy)の始まりは、「棒術」と「手術」である。つまり、棒と素手によってグスク時代の戦は、始まったのである。そのうちに、サイ術、ヌンチャク術、エーク術等に広がっていった。これらの術はすべて「手」(Tiy)に含まれるのである。
 
 野村耕栄(のはら・こうえい) 

沖縄県出身。少年時代より、喜屋武首里手を父・薫から学ぶ。大学時代に一時期、上地流にも入門。その後、首里手小林流を学び、現在小林流範士九段。1982年沖縄空手道少林流竜球館空手古武道連盟を設立。1985年全琉実践空手道協会設立。1992年より毎年6月沖縄県において、「全琉空手古武道選手権大会」を、2002年より毎年11月にカルフォルニアにおいて、「US-Okinawa Karate Kobudo Open Tournament」を、2006年より毎年4月ロンドンにおいて、「EU-Okinawa Karete Kobudo Open Tournament」を主催・開催。東京世田谷道場、埼玉大宮道場に支部道場を有す。詳細は、「竜球館」webサイトからアクセス。早稲田大学大学院博士後期課程スポーツ人類学研究科在学中。

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 連載一覧 
 
第01回  さまよえる「手」(Tiy)
     
第02回  さまよえる「手」(Tiy)
     
第03回  さまよえる「手」(Tiy)
     
第04回  さまよえる「手」(Tiy)
     

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