空手

第28回さまよえる「手」(Tiy)

2020.06.01

2020.06.03

 競技空手に邁進していく空手界を支援した文部省は、全日本学生空手道連盟を設立することに成功すると、さらに文部省内に空手界の大同団結に関する懇談会を設立した。座長に大濱信泉を再度起用した結果、1964年に全日本空手道連盟を設立する事に成功し、その会長に大濱信泉が就任することになる。

 

 沖縄出身の学者・大濱信泉 
 大濱は、1931年に母校、早稲田大学空手研究会会長に就任してから、33年後には、全日本空手道連盟の会長という日本の空手界を総括する頂点に立つこととなった。
船越義珍の型中心の空手から脱却して進化した空手は、スポーツ空手としての揺るぎない礎を築きあげたのである。琉球の武術としての唐手術は、ここにスポーツとしての試合形式の空手に変遷し、確立されていった。琉球に於いて発祥し、育まれた「手」「唐手」は沖縄の唐手家、船越義珍によって日本本土に伝播されたが、船越義珍の意に反して空手は競技用に改良され、その競技用空手を邁進した沖縄出身の学者・大濱信泉によってスポーツ団体としての全日本空手道連盟が設立されたということは奇遇であった。
ここに来て、空手が試合用、競技用スポーツとして発展していくことになるが、一方、本場沖縄の空手家等にとっては、後に大きな問題となって跳ね返って来ることになる。
沖縄の町道場のほとんどは、現在に於いても伝統の型を中心として稽古を行っている。船越義珍が当時教えていただろう全く同じ方法で現在でも、門下生に空手を稽古しているのである。型に始まり型に終わるのである。いわゆる寸止めの組手をやっている町道場は少ない。鍛錬のほとんどの時間を型の稽古と巻き藁などの鍛錬に費やしている。

 

 型とはなにか? 
 このように沖縄に於いて重要視されている空手の型とは何であろうか。これから「型」について少し考えてみたい。型については、多くの空手家がそれぞれの考えを表現している。
 例えば、渡口政吉は『空手の心』の中では、「型はそれぞれに極意の手を集めたものであります。ただばらばらに集めただけでなく、巧につなぎ合わせ、様式化するとともに演武線を構成して、舞踊的要素させ取り入れております。だから型には当然「武術的」「体育的」「舞踊的」の三要素が含まれているとみなければなりません。もちろん武道である以上、それに「心的」要素が加わることは当然です。」と述べている。
 また、黒田鉄山は「そもそも型とは、古人が残し伝えようとした武術的身体、すなわち実戦の場で自己の身体、生命を保持し、相手を制圧することのできる技術的身体を創り上げるための方便、階梯であり、あったはずである。このことは、型そのものは実戦の雛型ではないということを意味する」(『気剣体一致の武術的身体を創る』)と主張する。
 一方、金城裕は『唐手大鑑』の中で、「型とは、相手を想定して攻防の技を展開する独り稽古の方式である、という程度の理解のほうが多いように見受けられる。この程度の表面的な理解では、型の奥義に達することは難しい。唐手の型とは、唐手の技の意味の表現様式に他ならない。型を単なる独り稽古の方式という見方では、型の意味する唐手のほんとうの技は見えてこない。表現様式だから、何を表現しているか、を読み取らなければならない。」と記している。
 いずれも「型」の重要性を主張している。
 型は空手道にだけ有るのではない。剣道にも柔道にも型がある。

 

 剣道の形(型) 
 剣道の形は、旧制中学校で剣術を教える教師養成のため、明治末に剣術各流派ごとの形から師範学校用の教育用統一形が創られ、その後全国教育で「剣道」教育をおこなうにあたって、基本概念とそのための形が必要となったため、明治44年12月に調査委員会を発足させて師範学校用形を元として草案形の制作をはじめ、大正元年10月に太刀の形7本、小太刀の形3本の計10本で構成される大日本帝国剣道形を制定した、とのことである。その形は次の通りである。

○太刀七本:打太刀 対 仕太刀
一本目:左上段 対 右上段(面抜き面)
二本目:正眼  対 正眼(籠手抜き籠手)
三本目:下段  対 下段(突き返し突き)
四本目:八相  対 脇構(突き返し面)
五本目:左上段 対 正眼(面擦り上げ面)
六本目:正眼  対 下段(籠手擦り上げ籠手)
七本目:正眼  対 正眼(抜き胴)

〇小太刀三本
一本目:左上段 対 小太刀
二本目:下段  対 小太刀
三本目:正眼  対 下段

柔道の形

 柔道の形は次の通りである。
(1)投の形……手技、腰技、足技、真捨身技、横捨身技各3本ずつ、計15本からなる。
(2)固の形……抑込技、絞技、関節技、各5本からなる固め技の形。
(3)極の形……両者座って行う「居取」8本、両者立って行う「立合」12本からなる。
(4)講道館護身術……徒手の部12本、武器の部9本からなる。
(5)精力善用国民体育の形……1人でできる当身技の形の「単独動作」23本と、2人が組んで行う「相対動作」20本がある。

(6)柔の形……攻撃防御の方法を、緩やかな動作で、力強く、表現的、体育的に組み立てられたもので、第一教から第三教まで各5本の計15本から成り立っている

(7)古式の形……柔道の勝負上の精妙な理合いの原則を理解させる為に古式の形を残した。表の形14本、裏の形7本である。

(8)五の形……攻防の理合いを「水」にたとえて表現したもの。5本の動きからなる。

 さて、この柔道の形について、嘉納治五郎は「柔術というものは、古くは形ばかりのものであった。それが幕末になって、型の残り合いというものから始まり、遂に乱取りが始まったのである。柔術家がこれを盛んに研究するに到ったのは、ごく近来のことで、維新前には、全く乱取というものをやらずに、形ばかりを練習しておった柔術家が多数であった。」と述べている。


大濱信泉
 

 
 
 
 野村耕栄(のはら・こうえい) 

沖縄県出身。少年時代より、喜屋武首里手を父・薫から学ぶ。大学時代に一時期、上地流にも入門。その後、首里手小林流を学び、現在小林流範士九段。1982年沖縄空手道少林流竜球館空手古武道連盟を設立。1985年全琉実践空手道協会設立。1992年より毎年6月沖縄県において、「全琉空手古武道選手権大会」を、2002年より毎年11月にカルフォルニアにおいて、「US-Okinawa Karate Kobudo Open Tournament」を、2006年より毎年4月ロンドンにおいて、「EU-Okinawa Karete Kobudo Open Tournament」を主催・開催。東京世田谷道場、埼玉大宮道場に支部道場を有す。詳細は、「竜球館」webサイトからアクセス。早稲田大学大学院博士後期課程スポーツ人類学研究科在学中。

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